2005年11月02日
愛媛新聞の秋の褒章記事 受賞者コメントからの雑感
愛媛新聞の秋の褒章記事 「受賞者の横顔」のところで、今回受賞された県測量設計業協会長さんのコメントの1部がとても気になりました。
その内容は 「近年は受注者、発注者の双方が現場に行くのを避ける傾向がある。それがとても怖い」というものです。また「コンピューターに頼りすぎると重大なミスに気付かないことがある。今後も講習会などを通じて土木の技術者に現場を踏む大切さを強く訴えていきたい」ともおっしゃっていました。
測量業界の方ですから たぶん公共工事についての傾向を言われたと思いますが、私も同じような事を感じていました。建設業の土木に限らず、どのような業界の技術者もやはり現場を踏まないと育たないのは間違いないと思います。
ではなぜ、「現場に行くのを避ける傾向」になったのでしょうか。受注者の立場で考えますと、特に公共工事は近年、施工中に提出すべき文書や打合せが増え、その対応に時間をとられて現場に行く時間をとりにくくなったようにも感じます。確かに施工中の文書など、いろいろな記録が工事評価の対象になります。記録のないものは評価ゼロですから。
やはり時代の流れでしょうか。昔はきれいに現場ができればよかった。でも近年は、零細規模業者の現場に対しても、計画書から始まって施工中・完成までいろいろな記録をきっちりと求められます。そしてその作成には時間がかかりますから、現場に行くのを避ける傾向になるということでしょうか。「現場はもちろんきれい、記録は抜けなく完璧に」が高評価ですから、知らぬ間にそういう対応が普通になってしまったのかも知れません。
もちろん「パソコンに頼りすぎる」という事も影響があるでしょうね。今は、ソフトが安価・便利になって現場経験が余りなくても、きれいな図面が書けてしまいます。実は大変な問題を含んだものでも、図面がきれいだから間違いなく出来ているように思えてしまうのです。そしてだんだん自分の実力を過信するようになってしまうのかもしれません。
また本来の現場運営を決して忘れてはいないのですが、きれいな図面・文書作成が第一という別の目標が生まれ、、なんとなく現場に行くのを避けてしまうようになるのかもしれません。 「第一に書類だ」という図式を自分の中で作ってしまうということでしょうか。
今はパソコンで書類をするので、だれでも きれいに作成できます。目立つためにはもっときれいな書類を作成しなければなりません。結果、きれいな書類作りにはまってしまう。現場より書類をきれいにかっこよくしたい監督が多くなったのかもしれません。
先日、地場ゼネコンを退職された建築技術者の方とお話しする機会がありました。その方は「私らの時代はとにかく自分で何もかもしないと間に合わなかったし、いい物をつくろうと思うなら現場で考えて動かないとダメと思っていた。だから、とにかく現場に行くことだ。」と言われてました。確かにそのとおりと思います。けれども評価の基準が現場だけでなくなっている今は、考え方が変わっても仕方がないのかもしれません。
最近は現場に出ず、机上で考えれば十分だと思っている方も多いように思います。今後、本当に大丈夫でしょうか。